宍塚の歴史
宍塚小学校区は、宍塚町・飯田町・矢作町・粕毛町・佐野子町の5つの町から出来ています。 どの町も古い歴史があり、数多くの史跡や文化財、何百年も昔から伝わってきた民俗などに恵まれています。
この宍塚小学校そのものも、創立以来130年以上の伝統を誇る学校です。 また、学校の敷地も古墳時代前期の古墳跡であると言われています。 この地区は桜川自然堤防上に縄文の昔から人々がなりわいを営んでいた、土浦市でも最も歴史ある地域の一つだと思います。
宍塚歴史年表
| 時代 | 年号 | 西暦 | 歴 史 |
|---|---|---|---|
| 縄文 | 前期 | 約6000年前 | 宍塚貝塚(竪穴式住居跡から遺物)現在地不明 |
| 縄文 | 中〜後期 | 4〜5000年前 | 上高津貝塚(国指定史跡) |
| 弥生 | 1世紀〜 | 上高津貝塚で弥生式土器出土 | |
| 古墳 | 4〜6世紀 | 宍塚古墳群 | |
| 大和 | 大化元 | 645 | 大化の改新 |
| 大宝元 | 701 | 信太郡を設置 | |
| 奈良 | 和銅3 | 710 | 平城京遷都 |
| 平安 | 延暦13 | 794 | 平安京遷都 |
| 天暦元 | 947 | 宍塚般若寺を平将門の孫安寿姫が建立(寺伝による) | |
| 鎌倉 | 建長4 | 1252 | 忍性、関東に下り三村山極楽寺に入る |
| 建長5 | 1253 | 宍塚般若寺に建長5年の結界石 | |
| 建治元 | 1275 | 丹知久友、宍塚般若寺銅鐘を造る | |
| 室町 | 永禄7 | 1564 | 上杉謙信小田城包囲 |
| 佐竹義重土浦城攻撃 | |||
| 永禄8 | 1565 | 佐竹義重、佐野子に満蔵寺開基 | |
| 安土桃山 | 文禄6 | 1595 | 宍塚村検地 |
| 江戸 | 宝暦10 | 1760 | 粕毛阿弥陀堂建立 |
| 天明6 | 1789 | 大洪水 | |
| 天保6 | 1835 | 大洪水 | |
| 天保7 | 1836 | 大洪水 | |
| 弘化3 | 1846 | 大洪水 | |
| 嘉永2 | 1849 | 大洪水 | |
| 安政4 | 1857 | 大洪水、飯田・佐野子冠水 | |
| 元治元 | 1864 | 水戸天狗党、真鍋襲撃 | |
| 慶応3 | 1867 | 大政奉還 | |
| 明治 | 明治3 | 1870 | 洪水 |
| 明治4 | 1871 | 茨城県誕生 | |
| 宍塚学舎開学 | |||
| 明治10 | 1877 | 宍塚学校、般若寺に開学 | |
| 明治17 | 1884 | 宍塚小学校校舎竣工 | |
| 明治20 | 1887 | 宍塚小学校、下高津尋常小学校の分教場に | |
| 明治21 | 1888 | 洪水 | |
| 明治22 | 1889 | 中家村(三高津・飯田・粕毛・佐野子・宍塚・矢作)誕生 | |
| 中家尋常小学校宍塚分校と改称 | |||
| 明治23 | 1890 | 洪水 | |
| 明治25 | 1892 | 宍塚尋常小学校設置 | |
| 明治29 | 1896 | 酒井為太郎、中家農会設立(宍塚尋常小学校で) | |
| 明治30 | 1897 | 洪水 | |
| 明治35 | 1902 | 暴風雨で宍塚尋常小学校校舎倒壊 | |
| 明治38 | 1905 | 佐野子・虫掛間に橋(凱旋橋) | 明治39 | 1906 | 佐野子堤防工事 | 明治40 | 1907 | 大洪水 | 明治42 | 1909 | 宍塚尋常小学校校舎竣工 | 明治43 | 1910 | 宍塚尋常高等小学校と改称 | 大洪水 | 明治44 | 1911 | 宍塚尋常小学校に農業科加設 | 大正 | 大正元 | 1912 | 飯田、三島・諏訪・鹿島神社を合併し「三神社」を建てる(現在に至る) | 宍塚小で一坪農業運動(酒井為太郎提案)説明会 |
般若寺
般若寺
宍塚小学校のすぐとなりにあり、土浦市の文化財の宝庫といわれています。
言い伝えでは、947年平将門の娘安寿姫によって建てられたとされています。
その頃は現在土浦学園線が通っている台地上にあったという話もあります。
昔は五重塔がそびえる大きな寺であった(そのように記された瓦が出土しています)そうですが、
戦国時代、佐竹氏と小田氏との戦場となり焼失しました。
般若寺がいつだれによって建てられたかは正確にはわからないことが多く、「謎の寺」とも言われています。
写真は般若寺釈迦如来像。(県指定文化財)鎌倉時代後期作。
鎌倉の極楽寺釈迦如来像と近い関係にあるそうです。
五輪の塔
県指定文化財 般若寺五輪の塔
14世紀中頃につくられた。つくば市三村山極楽寺に次ぐ大きさ。
銅鐘をつくった大勧進源海の墓ともいわれる。
五輪の塔は下から順に、地(ア)・水(バ)・火(ラ)・風(カ)・空(キャ)を表しています。
宍塚古墳群
宍塚古墳群(大白山古墳)
宍塚古墳群2号墳。
円墳とされているが登ってみると前方後円墳のよう。
上高津貝塚考古資料館の石川功学芸員さんは、帆立貝形古墳の可能性を指摘しています。(全長約40m)
佐野子
佐野子川面遺跡
かつて佐野子には河岸があったといいます。
写真は佐野子満蔵寺跡です。
後生車(ごしょぐるま)
矢作の後生車
宍塚と矢作の境を流れる用水路の縁にある。
江戸時代か明治時代に、この付近の道路の普請をした際に大量の人骨が出たため、それを供養するために建てられた。
かつては現在の3倍ぐらいの高さがあったそうだが、重さのために徐々に沈み込んでしまい今のような状態になった。
中に木製の輪が付いている。
子どもたちの間では、手前に回すと明日は晴れ、向こう側に回すと雨と言われている。
虫送り
虫送り
農薬や殺虫剤のない頃は、虫たちに農作物を食い荒らされることなどに対してどうすることもできませんでした。
人々は神様や仏様にすがることで被害を防ごうと考えていました。
土浦市飯田町で行われている虫送り(アブラムシ)の様子は、今から百年ほど昔にはちっともめずらしい光景ではなかったのです。
太鼓や鉦を打ち鳴らして村中を回り、村境へ害虫を追いやる虫送りは、実際に音によって虫を追い払うという効果もありましたが、
悪霊を人形やわら細工に移したり、念仏を唱えたりすることによって追いやるという面が強かったようです。
飯田町のアブラムシ(市指定無形民俗文化財)は子供たちの行事です。
篠竹にタワラボッチ(桟俵)を押したものを持って[「油虫どうがんだ、どうがんだ、どうがんだ、ざあざあと降ってこい」
とはやしながら、太鼓や鉦を鳴らして村を回り、最後には桜川に流します。
「油虫どうがんだ…」のはやし言葉が、佐野子町の盆綱の「仏様のーらっせ…」というはやし言葉と非常に似た節回しになっているそうです。
(土浦市立博物館資料より)
的打ち(まとぶち)
的打ち
矢作町の鹿島神社で10月の第3日曜日に行われる行事です。収穫を感謝する神事と言われています。
説明していただいているのは、矢作町の大塚さん。
阿弥陀堂
粕毛阿弥陀堂
市指定文化財で1760年(宝暦10年)創建。
上高津貝塚
上高津貝塚考古資料館
上高津貝塚ふるさと歴史の広場にある考古資料館。
常設展示で『上高津貝塚と縄文時代の生活』を見ることができます。
上高津貝塚ふるさと歴史の広場ホームページ
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